Kamina - Motii Line

仁淀川町を囲む山々の稜線近く標高900mに大きな道がひっそりと、しかし凛と走っている。  此処に来た人は『一体何で!』 『何の為!!』と驚くと思う。    四国は西日本一の高さをもつ山脈で出来た島国。  この険しい山脈のおかげで交通はずっと不便を強いられて来た。    ある時、山頂近くに四国何処にでも降りれるアクセス道を作ろうとの計画が持ち上がる。  時代の流れもあってか今だにそれは完全開通を果たせずに佇んでいる。  この道はきっと貴方が走ってくれるのを待っている。     時代の流れによって人々はどんどん都会に移っていく中、この高い山々は変わらず清き流れの母となり、その下の清流では仁淀ブルーの名の下に今は遠く外国からもその奇跡の水を見に来てくれている。   この道の事を何と呼んでいいか分らないが、きっとここを訪れてくれた人がふさわしい名前を付けてくれるだろう。  そして、きっとこの道はMTBが一番似合うはずだ。僕はそう思っている。

自転車のはなし

一番最初に自転車を買って貰ったのは中学生になった時、兄は新車で僕は中古、兄は角目ライトで僕のは丸目。。 不満に思ったのは最初の日だけ、もう早速自分だけの乗り物に夢中!
四国山脈の真っ只中の生家と学校の往復で自転車に乗れるのは半分の2kだけ。学校を終わり民家の裏に隠したMY bicycleを引っ張り出す時のワクワクは今でも憶えている。  高校の時に一人で返還されて間もない沖縄に行った時も自転車と一緒だった。   免許を取ると一切自転車には触れなくなった。   しかし、kayak、登山を始めた僕の元には自転車が帰って来た。 今乗ってるGARY FISHERとは20年の付合い! 冬山登山で想定外の積雪の中、深夜11時過ぎにやっと車まで戻ってこれたのも経由先の山頂登山口で待っていてくれた彼のお陰。 ある時は輪行bagで京都を走り。 またある時は船に乗り瀬戸内の島を走った。  高校生の時、沖縄で一緒に走った自転車は、行方さえ覚えていない。 田舎で朽ちて捨てられたか、誰かに譲った様な気もするし、自転車を触っていると時々、あのしっかりしたランドナーの朱い車体と鹿児島港の入口で前輪が外れてしまい、通りすがりの人達と必死に直し微妙な形になった泥除けを想い出す。       貴方は自転車と友達になった事は有りますか?